| ** どうして海外旅行に行こうと思ったか? ** | ||||||||||||||||
| 年に2回のノルマ達成の為という不純な理由で5,6月頃に行かなければと計画しました。当初は、去年グアムで障害者用の部屋でなかった為に風呂やトイレに入れずの過酷な経験を一杯した母と私とで、私の記憶も確かな半年前に行ったばかりのラスベガスなら二人で行けるのではないかと考えていました。もう気持ちはラスベガスへそしてスロットマシンへと勝手に飛んでいました。出発地は名古屋、利用航空会社はデルタ、そして福祉タクシーや新幹線などを利用して、スーツケースは宅急便で送る。なるべく手荷物は少なくして前回と全く同じ方法でユックリ行こうと計画してました。しかし、現実は厳しいものでした。それは母の骨粗しょう症というカルシュム不足からくる女性に多い病気で腰が思っていたよりくたびれていたことでした。ですから誘ってもなかなか了解が得られず途方に暮れてる毎日でした。そうだよなー、考えて見れば前回は障害者団体ツアーで添乗員もいたし乗ってる時間も3分の1だっからあきらめるしかないかー、あああああ、妻は仕事で行けない、友達も仕事だ、やはり年に一回くらいが妥当かなー、こんな時に旅行ボランティアみたいな人がいてくれれば有りがたいだけどなーと殆ど愚痴をこぼす毎日でした。そんな時に私達がもう20年来も世話になっている友人の奥さん(キョウコ)からケンタッキーの友人より結婚式の招待を受けて行くことになったけど斉藤さんもと誘ってくれました。 もう7年くらい前になりますがケンタッキーの友人いや私にしてみれば英会話の先生になります。この頃からキョウコさんの旦那さんと香港旅行に誘ってくれた友人など6人で毎週1回英会話を勉強してました。私はすぐ忘れてしまう駄目な生徒で、彼は日本語が全然喋れず英語オンリーの先生でした。今思えば日本語で話せると日本語で話してしまうけど英語だけと思うと、まるで海外で必死で辞書を引いて話そうとする緊張感を味わっていたような気がしました。それからこんな事がありました。習い始めたある日、先生を送って行くことになったんですけど、不安げなそうに右手をだしてライト、左手をだしてレフト、前進は、信号機は、と私に確認をするんですよ、なにせ出来の悪い生徒が送って行くんですから、帰れなくなると思ったんでしょうね!!!そんやなんやで先生と言う硬いイメージはなく、とても親しみらしさを感じてました。それに彼の友人の家に招待された時などは、この重たい私を4階まで快く背負ってくれたり、友人との手造り料理を振舞ってくれたりしてくれて、とても楽しく貴重な体験をさせてくれました。こう言う経緯から生徒さんにも招待状が来ていて誘ってくれたじゃないかなーと感謝してます。 当初、前半の3泊はケンタッキーで後の2泊はサンフランシスコへという予定でしたが、私のわがままなラスベガスへの思いが忘れられず、前半は一緒に行って後半はラスベガスへ3泊しようと、またまた勝手に計画してました。でも、それを聞いた母の不安げな顔を見ると今回はやめよう、それにシカゴからラスベガスの便だけで倍くらい高くなってしまうということも重なって当初の計画通り決行することになりました。今回は4人の個人旅行ですが、心強いことにキョウコさんの英語力と若さのスケットに大変助けられました。後で聞いたことですがキョウコさんとタエさん(娘)が行くから決心がついたけど、クニオと二人なら、とてもとても無理だったよと母が妻に話してました。 |
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| ** 家から空港ホテルまではどうやって行くの ** | ||||||||||||||||
| 今回は成田正午発ということで普通の人でしたら朝一番の新幹線に乗れば間に合いますが、何てたって車椅子と高齢者の4人旅ですから空港近くのホテルに前泊することにしました。浜松駅まではいつもと同じ福祉タクシーで問題無く行けましたが、新幹線に乗るまでに前回同様に通常の人達より500メートルくらい余分に歩かなければなりません。後で気が付いたのですが、私だけ離れたエレベーターに乗り、後の人たちは通常の改札口から行けば良かったじゃないかと後悔してました。車椅子専用室では前回同様に足を座席の荷物の上に乗せなるべくお尻に負担がかからないようにしてました。やがて東京駅に無事到着しましたが、ここで待てよと、母は近くのスーパーに行くにも老人車を押して行く(高齢者になると歩く時に杖とか乳母車とかに持たれかかるものが必要になってくる)ぐらいですから成田エクスプレスの乗り継ぎまでの道中はとても無理だと判断して車椅子を用意してもらいました。なんか車椅子に無理やり乗せてしまったようで自分の車椅子姿とダブって胸にじーんと迫るものを感じてました。そして案内の駅員さんが押してくれるのかなーと期待したんですけど結局キョウコさんに押してもらうことになりました。台車に荷物を乗せて行くようなものですからどんなにか疲れたことだろうかと心配しました。私は手に皮の手袋をして自分で走行するようにしました???ところどころで押してもらった。時間は20、30分くらいですので間に合わないことも無かったけど安全を考えて計画通りひと列車遅らして成田エクスプレスへ乗車しました。キョウコさんは慣れていて車椅子をウイリーで乗せることも可能でしたが、駅内のことは駅員さんに任せようと特に列車への乗降はお願いしました。そして成田第2ビルで降りてホテル指定(事前にホテル側とバスに車椅子対応するとの確約がしてあった)のバスターミナルへ行きましたが、時間を待ちがえたのかバスが来ておらず、それにバスへの対応が本当にしてもらえるのか不安で時間も夜8時を過ぎていたのでタクシーに4人乗れるなら代金も高くないからとキョウコさんが交渉して乗りこむことになりました。20分位でリーガルロイヤルホテル成田へ到着しました。車椅子の部屋を頼んだのですが、手すりはあるのですが狭くてトイレに乗り移ることができずガッカリ、それに風呂も使えませんでした。私のような手の利かない頚損なんてとても無理じゃないかー、状態の良い障害者用の部屋だーとブツブツ言ってました。でも翌日約束通りボーイさんと運転手さんとでバスに乗せてくれことにはありがたく感じていました。しかし、空港に近づくにしたがって運転手一人で大丈夫かな手伝いの人が待っててくれるのかなーと言う心配が減量途中の私の頭を横切りました。細身の運転手さんでしたが一人で抱きかかえて快く降ろしてくれました。感謝です、もっと減量しなくちゃと心に決めていました。 | ||||||||||||||||
| ** 空港から機内へ ** | ||||||||||||||||
| 成田空港は2回目なのでやや余裕がありました。スーツケース3個を受け取りユナイテッド航空カウンターでチェックインする前にキョウコさんの荷物が係員に止められてしまい英語で何やら話しているではありませんか、聞き耳を立てて理解しようと努力するのですが無理無理でした。X線でビン(お酒)の存在が判ってしまい液体の入った割れ物はダメと注意され、割れないように包装してあるので良いではないかとのやりとりだったらしいです。結局、手荷物として機内に持ち込みなさいとの事でした。私は自分でチェックインするつもりでしたが例の空いてる時の裏技を使うには英語力不足でしたのでキョウコさんに頼んでもらました。成功です!!!後は登場カウンターまで案内してくれる係員(日本人)と時間を打ち合わせして時間までお尻を休めようとイス3脚に横たわっていました(荷物は絶対手放さないように)。やがて時間が来て搭乗口カウンターそして機内へ"私は立ち上がることができません"と言って、航空会社の方に全てお任せし無事席に座ることができました。(多少自分で出来ることがあっても任せた方が得だと思う) | ||||||||||||||||
| ** 機内での過ごし方 ** | ||||||||||||||||
| 成田からシカゴまで約12時間も飛行機の中にいなければなりません。今回裏技を使った私の席は最後尾から5、6列ぐらいで丁度3人用から2人用になった肘掛が持ち上がるハンディーキャップ用の席でした。母らは4人用で母の為に二つ分を使わせてもらいました。ですからキョウコさんとタエさんは大変だったじゃないかなーと思うばかりでした。ところで私は一時間間隔で左右にくの字になったりしてお尻をかばい(くの字でも横になれるのはあり難いですね)ながら寝てました。不思議なことに夕食と朝食と軽食(おやつ)の時は目がさめてて、少しダイエットを気にしながら食べていたような記憶があります。水分も普通にとり順調で、あれの処理も上手くできました。ただ流し方が判らなかったと母に言われた時にはドッキリもんでしたが、旅行慣れしてないし理解できる言葉で表示されてなかったから許して下さい次の方。 | ||||||||||||||||
| ** 乗り継ぎ、トランジット ** | ||||||||||||||||
| 入国手続きも無事終えてトリムでルイビル行きの登場口へと案内人と共に行く訳ですが、広いですねシカゴの空港はビックリしましたよ。全てバリアーフリーです、トリムに乗る時もエレベーターに乗るのと全く同じでフラットでした。ルイビル行きの搭乗口ではキョウコさんらとは別々で母と二人で滑走路横の部屋で待たされていました。そこでは5、6人のいろんな人種の空港スタッフがガムを噛んだり菓子を食べたりして離発着便時の仕事の出番まで休んでいるようでした。周りは外国人ばかりで休憩中なら英会話のチャンスと思いましたが、車椅子専用の椅子に乗せてもらう時以外は話せる雰囲気ではありませんでした。そして出発時間も遅れイライラしてると、やがて小雨の中を二人で抱えてタラップを上がって行くではありませんか、どうか滑らないように祈ってました。尚、この飛行機はアテンドが二人だけの小型で飲み物と小さな菓子袋のサービスだけでした。飛行時間は一時間くらいだったのでお尻の心配もなくトイレも大丈夫でした(全体的に狭くて明るいですから処理する時は大変に思えます。国内の移動で時間が短い場合は、なるべく空にしておくこと) | ||||||||||||||||
| ** 空港からホテルへ移動 ** | ||||||||||||||||
| 空港に到着してタラップを降りるのかなーと思ってましたが、ここではジャバラでの移動でしたので安心しました。そしてアテンドに自分の車椅子へ乗せてもらおうと思ったて時、出迎えに来てくれてたアーネスト(元英会話の先生)が飛んできてくれ抱きかかえて乗せてくれました。5、6年ぶりの再会で感激が増しウルウルもんでした。アーネストは日本に来てキョウコさんの手料理を食べたりマクドナルドのハンバーガーばかり食べていて太ったイメージしかありませんでしたが、ややスリムかなと感じました。車はステップワゴンで座席が高かったけど彼に抱きかかえて座らせてもらいました。(シートベルトは助手席はもちろん後部座席の人も必ず締めること)そして手配済みの Galt House Hotel へ3泊することになりました。部屋は広くてハンディーキャップ用でしたがベットの大きさや高さが日本人向きではありません。私には交渉能力はとてもありませんでしたが頼りになるキョウコさんがいました。私の思いをキョウコさんがアーネストへペラペラと喋り彼が直接交渉してくれました。そこで学んだ英会話"ベットが高すぎます。少し低くして下さい"と言う言葉は付き添い者が抱きかかえられない頚損者には必要だと感じました。一方、心配していたトイレや風呂は上手く使え満足満足の3日間でした。 | ||||||||||||||||
| ** ルイビルの3日間 ** | ||||||||||||||||
| ◎ | (b005-01-01、02)はアーネストの友人で以前JAPANにも遊びに来てくれたジンさんで、すばらしい自宅へディナーに招待してくれた時の写真です。 (b005-01-03、18)は有名なケンタキーダービーの行われる場所の写真です。馬小屋は写っているのですが肝心の馬が写ってない!!!
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| ◎ | (b005-01-04〜05)はキョウコさんに一人で注文するようにと私と娘さんのタエさんに出されたショッピングセンターでの英会話の練習場所付近です。私は結局上手く喋れず助けてもらいました。味はソウソウでした。
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| ◎ | (b005-01-14)は教会で行われた結婚式の一枚だけの貴重な写真です。なぜ式の写真がこれだけかと言うと直後にカメラを落として壊してしまったからです。ですからタエさんのピアノを弾いてる写真を撮る事ができなくなってしまいとても残念で後悔してました。 式も終わり、写真はありませんがリムジン2台とその後をベストフレンドの車が順番に連なってホテルの対岸のとても景色の良い場所にたどり着きました。(b005-01-24、25)ここに写っている人たちはベストフレンドと呼ばれ、選ばれることがとても光栄なこととされています。 (b005-01-26、27)はパーティー会場での踊りの様子です。
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| ** サンフランシスコの2日間 ** | ||||||||||||||||
| ◎ | 私は沢山の思い出や貴重な体験を一杯トランクに積めこんでシカゴを去りサンフランシスコへと飛び立っていました。約4時間30分のフライトでしたがあっというまに到着してました。よく旅すると行きは長く感じて帰りは短く感じるものだと言われますがまさにその通りでした。空港から
Argent Hotel
までは荷物が多かったのでタクシー2台で行くことになりました。チョッピリ不安で乗りこんだタクシー運転手のにぎやかなことには驚かされました。以前日本に来たことがあって、私達が日本人と判るとその時覚えた単語や商売柄覚えた地元での言葉など片言の日本語の連発でした。それに乗り始めて直ぐにガソリン切れた給油させてくれの言葉が理解できるまで何処へ連れて行かれるのか、ぼられのか心配でした。でも給油中メーターSTOPですの言葉が理解できた時はホットしましたが給油中もガソリン高い、この車の方が安いよーと喋りまくっていました。おまけに何でも自分より早いタクシーは無いとか言って飛ばすこと飛ばすことビックリさせられるばかりでした。ですから今でも運転手の顔はハッキリ覚えています。 (b005-02-22)は日本に在住してた頃のキョウコさんの友人でリンさんとクリスティーさんです。私もそのころにお会いしたことがあり久々の再会でした。両手に花でイヤらしい顔になってるかもしれない。(b005-02-06、07)は夕食後に頼んだケーキの前で年を忘れ微笑んでいる写真です。どうです私の大きな頭と比べて見れば大きさがよくわかりますよ。もちろん食べきれずに持ち帰り翌日の朝食になってました。 (b005-02-12)はピア39前での親子写真です。ここはフィッシャーマンズワーフでもっとも賑わうエリアで桟橋の上に立つ木造の建物に、ブテイック、ギフトショップ、レストランなど約150軒以上入っている。それぞれの店は小さいが、ユニークなショップが多く楽しませてくれます。(b005-02-14)はボーディンという店が発祥のサワドウ(イーストを使わずに焼くフランスパンの一種で、酢が入っている為、その名のとおり少し酸味があるのが特徴)にクラムチャウダーを入れて食べているタエさんと母です。
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| ◎ | (b005-1-05)はとても人気があるので前もって予約しておいた脱出不可能な刑務所のアルカトラズ島見学の写真です。冷たい海の水と吹き荒れる風に包まれた地獄の島(b005-02-01)。1934年から1963年の間、連邦政府管轄の刑務所として使われ、アル・カポネやマシンガン・ケリーなどの凶悪犯が投獄された。潮流が速く、水温が極度に低い為、脱出不可能といわれていたが、1962年に3人の囚人が脱走。そのストーリーはアルカトラズからの脱出という映画にもなりました。私は2度ほど見たことがあったのでとても興味があり車椅子でどうやって行くのかと考えていました。安心して下さい、船には最初に乗船することができ、やや急なスロープをキョウコさんにブレーキをかけてもらいながら乗りこみました。船は揺れが少なくあっという間に接岸されてました。最初、島では監視塔(b5-02-02t)より坂を登るんだと思い自力とキョウコさんのエンジン付きで3分の1までハアハア言いながら登っていると、年配の方が4,5人乗った2両連結の電器自動車が回転塔を回しながら降りてくるではありませんか。多分あれに車椅子も乗せてもらえるのではないかと思い、会話のできるキョウコさんに聞きに行ってもらいました。思ったとおり乗せてもらうことができるということで私と母の二人はそれに乗り無事セルハウス(刑務所)に(b005-02-16)入所するこができました。中では各自がヘドホーン付きカセットテープレコダーを首に掛け流れてくる説明を聞きながら歩き出します。囚人や看守のインタビューが入って臨場感たっぷり。ナレーターがセルハウス内を歩く方向や、重要な見どころをひとつひとつ説明してくれるます。もちろん日本語ですので安心して下さい。 注意:平日でもチケットが手に入らない場合があるので事前に予約しておきましょう。
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| ◎ | アルカトラズの見学も無事終えて話は妻より頼まれたバック探しに移ります。日本を出る時にブランド名と色と特徴だけを告げられ何とかなるさの軽い気持ちでした。なかなか見つけることができなくてキョウコさんばかり頼っていては申し訳ないと気づき、金魚の糞みたく付いて行くのもしゃくだし、何とか自分で探そうと慣れない片言で話していました。最初に聞いた店員さんから店名と場所を説明してもらったのですが、恥ずかしさから一部しか理解できなかったくせに判ったふりして再度聞こうとはしませんでした。何回も聞いてはいけないと思ってしまう日本人(私)の悪い癖です。イカンイカンと思い次に入った店では紙を用意して書いてもらいながら説明を確認しました。親切に教えてもらいこの手を使えば結構いけると自信を持ちました。ですから目的の店に行った時、頼まれた色がなくて時差の関係で妻の勤め先まで電話して確認をしてました。何が何でもという一念は凄いですね旅の素晴らしさを再確認させられました。 | |||||||||||||||
| ** 帰りの国際線はラッキーでした ** | ||||||||||||||||
| ◎ | いつもなら数分で終わる空港カウンターのチェックインがとても長くかかり終わったかと思えば座席は決まらず、今まで経験もしたことのない搭乗口カウンターでやるようにとのことでした。とても混んでて例の裏技どこではありませんでした。もし離れ離れでひとりきりだとトイレが困ってしまうし、受け付けの始まる時間がきていても人は現れず、余計と不安が増してました。日本では考えられませんが、アメリカではよくあるらしいことで30分くらいしてようやく始まりました。勉強の為にと前の人の会話を聞いていましたらビジネスという単語が耳に入り、ひょつとしてひょつとしたのでした。ビジネスクラスへ4人で座ることができたのです。3人用の座席を2人用に4人用を3人用にしてあって前後が広く空けてありユッタリしてました。おまけに食事もビジネスクラス用でとても美味しかったです。残り物に福があるという日本のことわざがピッタリでした。 | |||||||||||||||
| ◎ | 最後になりましたが無事日本に帰って来ることが出来てキョウコさんタエさんには大変感謝してます。そして母に皆さんに。。。いろんな体験が私を次の旅行へ旅行へと掻き立てます!!!次はどこへ行こうかと考えモードに入りました楽しみにしてて下さい。 | |||||||||||||||